ジャニーズの大御所・東山紀之さん。
若い頃は少年隊の主力メンバーとして活躍、その後は俳優・タレントとしても活動されています。
長く独身貴族でしたが、2010年に女優の木村佳乃さんと結婚し、翌年には子供も誕生。
今日は東山紀之さんの結婚や子供について書いてみたいと思います。
また、若い頃の圧倒的なイケメンぶりや、ネットで噂になっている韓国との関係、現在の髪の毛や身長についても触れてみたいと思います。
東山紀之の少年時代。両親が離婚しコリアタウンに引っ越し※韓国人の噂の理由
東山紀之さんといえば、昭和を代表するアイドルユニット「少年隊」に所属し、国民的なアイドルとして活躍された方です。
少年隊以降は俳優やタレントとして活躍し、現在までに多くのファンを抱えました。
30代、40代になってもイケメンのポジションを守りながらも独身貴族を貫き、かつての福山雅治さんらと同様に「独身男性の味方」でありました。
名前 | 東山紀之(ひがしやまのりゆき) |
生年月日 | 1966年9月30日 |
出身地 | 神奈川県川崎市 |
身長 | 178センチ |
血液型 | A型 |
職業 | タレント。歌手。俳優。 |
嫁 | 木村佳乃 |
特技 | 剣道。タップダンス。ソフトボール。 |
趣味 | スキューバダイビング。 |
事務所 | ジャニーズ事務所 |
東山紀之の子供時代。両親は離婚しコリアタウンに引っ越す
東山紀之さんは1966年9月30日に神奈川県川崎市で生まれました。
実家は父方の祖父母の家で、川崎駅近くにある歓楽街付近でした。
祖父はロシア人の血を引いていたというので、東山紀之さんは八分の一(ワンエイス)ロシア人の血が流れていることになります。
※東山紀之さんに在日朝鮮人も噂がありますが事実ではありません
父はお酒とギャンブルが大好きで、母親は理容師の仕事をしていました。
祖父は酒癖が悪かったようで、母親が仕事で不在の時に酒に酔って暴れた祖父がポットをひっくり返して東山紀之さんは左足に酷いやけどを負ったこともあったそうです。
東山さんが3歳の頃に妹が生まれていますが、母は旦那の借金と祖父の酒癖の悪さから離婚を決断しました。
極貧の少年時代も在日家族に救われる。在日韓国人への差別に葛藤する
離婚後の東山一家は離婚後は川崎市桜本に引っ越し、6畳+3畳の風呂なしボロアパートで家族3人で暮らすことになりました。
引っ越した桜本は在日韓国人が多く住んでいるコリアタウンで、東山さん家族は近所の韓国の方と親交を深めていたそうです。
当時の東山さん家族は貧困に苦しみ、妹と共に常にお腹を空かせていたのですが、近所で焼肉屋を営む母子に出会ったことで、その空腹を乗り越えることができたそうです。
東山紀之さんは近所に住む2つ上のシュウちゃんという”お兄ちゃん”と喧嘩をしたことから仲良くなり、そのお兄ちゃんの実家に毎日上がるようになったそうです。
毎日空腹だった東山さんと妹に豚肉を焼いて出してくれたそうで、東山さんは当時のことを大人になった今も感謝しているそうです。
しかし、小学生になり川崎市立桜本小学校から川崎市立古川小学校に転向した後に、コリアタウンから離れたエリアでの韓国人差別を目の当たりにショックを受けるのです。
韓国人に対する悪い噂が頻繁に耳に入り、かつて幼少期に友情を育みお世話になった韓国人家族のことが脳裏を過り、とても辛い想いをしたのだとか。
大人になった後も韓国人に対する偏見を嫌がり、番組でも肯定的な態度を続けたことで一時期ネット上で在日の噂が流れたのです。
少年時代の東山紀之。再婚後に義父からDV。剣道で優勝しバンド結成
東山紀之さんの母親は再婚をしたようですが、その再婚相手は東山紀之さんにDVを行うなど、酷い義父だったようです。
そのため、当時の東山さんは近所に住む叔父(母親の兄弟)によく面倒を見てもらっていたそうです。
叔父はよく川崎競馬場に連れて行ってくれたりと面倒を見てくれていたそうです。
ある時に東山さんが母の財布からお金を盗んだことが叔父にバレて厳しく怒られ、その直後に叔父が42歳の若さで急死。
大好きな叔父との最後の思い出が「人の物を盗んではいけない」という説教だったことから、大人になった後も、”絶対に人の物を盗んではいけない”と肝に銘じたそうです。
小学生の頃は東山さんは勉強もスポーツもできた方で、極貧でありながらもいじめられることはなったそうです。
子供の頃は王貞治さんに憧れていたことで、将来はプロ野球選手になりたいと思っていた時期もあったそうですが、小学校3年生の頃から剣道に打ち込みました。
始めた剣道は6年生の頃には横浜市剣道大会の地区大会で優勝するなど結果を出しました。
高学年になる頃にはブルースリーの影響で”人に見られる仕事”に興味を持ち、体を鍛えるようになります。
小学生にして友達とバンドを結成してギターを担当し、卒業式で演奏するつもりが緊張のあまり頭が真っ白になってしまい演奏できなかったというエピソードもあります。
中学時代はバスケ部に所属し、エースとして活躍されました。
現在までに体をバリバリ鍛えるのは、子供の頃から憧れているブルースリーの影響だそうです。
東山紀之と嫁・木村佳乃馴れ初めと結婚。2人の子供の性別は女の子。長女と次女も美人!
アイドルとしての全盛期が過ぎた東山紀之さんは、その後もタレント・俳優として大活躍されました。
長く”結婚しないイケメン”として知られていた東山紀之さんでしたが、2010年に44歳にして結婚を発表した際は世間は驚愕しました。
”永遠の独身”のイメージがあった東山紀之さんが結婚した相手は、1年前に交際報道があった人気女優の木村佳乃さんでした。
東山紀之さんと木村佳乃さんは2010年10月23日に、双方の事務所からふたりの直筆の署名が入ったFAXを関係各社に送信。
2人の結婚はすぐに各メディアが大きく報じました。
東山紀之と木村佳乃の馴れ初めは舞台「さらば、わが愛覇王別姫」。交際期間は約2年で入籍
2010年10月に結婚を発表した東山紀之さんと木村佳乃さんですが、出会いは仕事での共演でした。
2人は2008年3月に舞台「さらば、わが愛覇王別姫」で共演した際に意気投合し交際に至りました。
2008年同年5月頃にはお互いの自宅を行き来するようになり、半同棲状態だったそうです。
2009年にスポニチから2人の熱愛が報じられると、双方とも交際を認めるコメントを事務所から出ていました。
当時、ジャニーズ側から交際を認めるコメントがハッキリと出るのは異例で大きな話題となりました。
熱愛報道後にハワイ旅行から帰国した2人は成田空港で直撃取材を受け、そこで既に来年(2010年)に結婚を考えていると発言しました。
この頃から”結婚秒読み”だと言われ、それから1年後の2010年10月に結婚発表に至りました。
東山紀之と木村佳乃の2人の娘。料理・家事に協力的なイクメン
2010年に結婚した東山紀之さんと木村佳乃さん。
挙式はせず、翌年には第一子の長女が誕生し、さらにその2年後には第二子の次女が誕生しています。
長女 | 2011年誕生 |
次女 | 2013年誕生 |
長く独身生活が長かった東山紀之さんは料理や洗濯・掃除なんでも隈なくこなせるタイプだったので、その経験は結婚後に生きました。
特に料理は幼少期から母に教えてもらっていた為、料理に関しては得意分野で大活躍しているようです。
一時期は凝った料理を出しても子供が食べてくれず、結局はスパゲッティや唐揚げ、ハンバーグがメインに落ち着いたこともあったそうです。
また、もともと子供の事が大好きだったので、自分に子供が生まれると子煩悩な父親として親バカぶりを発揮しました。
伝えていくのが大事なことだと思うので」と前置きしながら、1歳11か月の長女と、5か月の次女について「世界一だなと思う」と愛情いっぱいに〝親バカ〟を全開させた
ちなみに2人の娘の名前は公表されておらず、顔も非公開です。
長女は東山紀之さんにそっくりで、長女も東山さんの事が大好きでパパっ子だそうで、次女もとても可愛くて”世界一”だと答えていました。
嫁・木村佳乃さんがピジョンの新型ベビーカーの発表会に登場し、東山紀之さんの子育てについて聞かれ「協力的で何でもやってくれる」と答えており、嫁さんからも好評のようです。
娘が5歳と3歳になった時期は、夫婦で毎日朝6時に起きて家事をバタバタと済ませ、料理もあらかじめ作り置きするという協力体制で上手く回していたようです。
子供の学校は成城系列?運動会で最前列を取るイクメンぶり。娘には芸能界よりも勉学(医学など)の道を希望
東山紀之さんの2人の娘は芸能人の子供が多く通う成城学園の系列に通われているようです。
2017年5月に東山紀之さんは長女が通う成城幼稚園の運動会に帽子とサングラスという出で立ちで参加して話題になっていました。
朝早くから陣取り、徒競走で長女が入場してくると東山紀之さんは破顔して顔の前で両手を振ってそうです。
成城幼稚園は嫁・木村佳乃さんもOBで馴染みのある環境のようですね。
インタビューで瀬戸内寂聴さんが東山紀之さんに「俳優にしたいかどうか」を聞いた際に、
「いや、僕は今の子もそうですけど、医学の道に行ってほしいなと思っているんです。大震災後に被災地をお訪ねする機会があり、人の命を救える医学がいちばん大事なのかなと、思いました。本人がどう選択するのかは任せるんですけど、僕の希望はやっぱりお医者さんですね」
と答えており、自分が苦難を経験した芸能界よりも、よりダイレクトに人の役に立つ医学などの勉学の道に進むことを望んでるようです。
東山紀之の全盛期。若い頃(10代〜20代〜30代)と現在。頭皮や身長が縮んだ噂
現在の東山紀之さんといえば、ダンディで子煩悩なオヤジ系イケメンです。
デビューしたばかりの頃は初々しアイドルで、所属していた「少年隊」の中でも多くのファンを抱えました。
若い頃から現在までの東山紀之さんの全盛期を振り返る時、10代から20代の頃のアイドル期が一番という方もいれば、洗練された30代から40代だという方もいます。
東山紀之さんは1979年の13歳の中学生の頃にジャニーズに入所。
きっかけは友人と3人で渋谷のNHKホールに音楽番組の観覧に行った後、スクランブル交差点でたまたまジャニー社長が坊主姿の東山さんを発見し、車を降りて声をかけたことでした。
当時はまだあどけない子供でした。
1982年の16歳の頃に少年隊に加入。
当時、高校生でありましたが、圧倒的な美少年ぶりで世間の女性を熱狂させました。
1987年の21歳の頃に「荒野のテレビマン」でドラマ初主演を果たし、俳優としてもブレイクしました。
演技力とストイックな姿勢が買われ、1988年に22歳の若さで舞台『沖田総司』で初座長を務め、ジャニーズを代表する俳優となりました。
同年にはベストジーニストに選ばれるなど、ファッションのアイコンとしても注目されました。
20代は主に俳優として人気になり、この頃を東山さんのキャリア全盛期と見る方も多いようです。
27歳になった1993年にはNHK大河ドラマ『琉球の風』で主演を務めるなど、若くして俳優としての難問をクリアしました。
30代から40代の東山紀之の方が尊い?ボディメイクやトークスキルが洗練される
見た目や俳優としての仕事の大きさは20代が全盛期だと言われていますが、東山紀之さんの魅力が全面に出ていたのは30代から40代だという見方も多いです。
特に30代に入ってからの東山紀之さんは、仕事現場でのストイックな姿勢や、スタッフや共演者への気遣い・振る舞いが紳士的で好感度抜群でした。
若い頃から続けていたトレーニングも、この頃から注目されました。
鍛え抜かれた肉体に、洗練された演技と、東山さんが最も完成された時期でありました。
バラエディでのトークスキルも、20代の頃よりも断然に磨かれ、世間では”ユニークな発言ができるイケメン”との認識が広がりました。
尊いイケメンでありながらも、ずっと独身でミステリアスな雰囲気も守り続けました。
若くて勢いのあった20代の東山さんも素敵ですが、最も世間をときめかせたのは30代から40代だったことでしょう。
現在の東山紀之は頭の毛や生え際が危ない?身長が縮んだ噂
長く”かっこいい兄貴”の座を守っている東山紀之さん。
しかし、50歳を過ぎた辺りから、髪の毛が薄くなったなど、多少の老化が話題になることが増えました。
実際にネット上で話題になった写真などを見てみると、確かに額が広く見えます。
ただ、東山さんは若い頃からおでこが広く、今になって生え際が極端に下がったわけではありません。
既に50代に入っているので、多少の老化は当然ですが、一部ネットで弄られるほど酷くはありません。
また、身長が若い頃よりも低くなったという声もありますが、この点は怪しいです。
もともと身長178センチある東山さんですが、身長が175センチちょっとの共演者と同じぐらいに見えたことなどもあり、実際に縮んでる可能性はあります。
仮に身長を測り直した場合、昔よりも背が低くなってるかもしれません。
中には、”ジャニーズは2センチ前後ぐらいサバ読む”と言われており、”本当は公表よりも2センチ低い176センチのだっただけというオチじゃない?”という意見もあります。
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